毒親育ちの私にとっての母の日:母の日は毎年本当に辛かった

シンミニライフ

どうも、元汚部屋住人でミニマリストのchieです。

今日は母の日でしたね。

毒親(この呼び方が好きではないので別の呼び方ないかな?)育ち、私は毒母育ちですが母の日が毎年本当に辛かった。

今日はちょっと暗い話になりますが同じ境遇だった方はよろしければお付き合いください。

母の日の思い出

私はお母さんが大好きでした。

いつも愚痴ばかり言って悲しい顔をしているお母さんをなんとかして喜ばせたいと毎日必死だったし、もっと自分が頑張ればお母さんが喜んでくれると思っていました。

良い子でいたし、勉強もいつも一番だったし、いつも笑顔で明るくしていたらお母さんはきっと喜んでくれると思っていました。

そんな私にとって母の日は絶好の日でした。

お父さんにお願いしてピンクのカーネーションを買い、お母さんにプレゼントしました。

『おかあさん、いつもありがとう』

というメッセージカードも書きました。

きっとお母さんは喜んでくれると確信していましたが、おかあさんにカーネーションを渡すと一言。

なにこれ?こんなのいらない。

そう言ってカーネーションとメッセージカードはゴミ箱に捨てられました。

小さな決意

捨てられたカーネーションを見て、決意しました。

もう二度とお母さんにはプレゼントは渡さない。もっと他のことで頑張って認めてもらわなくてはいけない。

次の年の母の日は何もしませんでした。すると母の日の翌日に

あなたは母の日のプレゼントもないの?〇〇ちゃんはちゃんとプレゼントしてるのに。〇〇ちゃんは勉強もできるしお手伝いもするしかわいいし。どうしてあなたはこんなにダメなの?

母はそう言いました。

私はどうしたらいいんだろう?こんなにお母さんのことが大好きなのに・・・

私にとって母の日とは

『母の日』って世間的にはいつも頑張っているお母さんありがとう!ってお母さんに感謝の気持ちを伝える日なんだと思います。

でも私にとっては『母親に感謝しなさい』と半ば強制的に感じさせられるとても辛い日でした。

きっとこれはちゃんと親から愛された普通の家庭の方には分からない感覚だし、わかって欲しいとも思っていません。

毎年5月が始まったら辛かった。どこに行っても綺麗なカーネーションが並び、Happy mother’s dayとか書かれたポップを見るだけでも辛い。

5月はお買い物にはできるだけ行かない。私にとってはそんな日でした。

*****

私自身が母が毒親だと気付いたのは27歳の時でした。それからも頑張って関係を続けていましたが、もう限界だと思い今は音信不通です。

母は自分が毒親だとは微塵も思っていません。謝ってくるなんてもってのほかです笑

でも私も40歳を過ぎ、捨て活を通してミニマリストとなり自分軸ができました。

子供の時辛かったこと、悲しかったことを思い出して、おかあさんに本当はしてもらいたかったことを一つずつ自分にしてあげています。

そうすることで私の傷も少しずつですが癒えてきました。

私は母に『子供はいません。お母さんって呼ばないで!』と言われたので、40代になった今の私が、子供の頃の私の母になりました。

一つずつ辛かった思い出を思い出し、書き換えていっています。

そんな作業をするのもなんだか楽しいなと思えている今日この頃です。

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